||   LOOK AGAIN, baby SEAL / また会おう、アザラシくん   ||


自然をテーマにした写真のなかで、ぼくが一番心を動かされたのは、赤ん坊のアザラシがひとりぽっちで氷の上に横たわっている写真だった。きっとあなたも見たことがあると思う。まるで写真全体が目といった感じで、アザラシは無邪気な黒い瞳を精一杯に見開いてカメラを、そして見る者の心をじっと見返している。はじめてその写真をみたとき、ぼくはその目が、「あなたはぼくを傷つけるつもり?」と聞いているように感じた。答えはイエスだとぼくは知っていた。なぜなら、毎年何千頭ものアザラシの子供が殺されているからだ。
   たった一匹のアザラシの赤ん坊のいたいけな姿に、多くの人たちは心を動かされたにちがいない。彼らはアザラシを救うために募金をし、一般レベルでの認識は徐々に向上しはじめた。ぼくがもう一度その写真を見たとき、そのふたつの大きな瞳は、今度は別のことを訴えていた。その目はこう言っていた。「あなたはぼくを知っている?」と。このときは、心ない人間が動物たちに危害を加えている、というような胸の痛みはあまり感じなかった。けれどぼくは、ぼくとアザラシのあいだにはまだ大きな溝があることに気がついた。ぼくはほんとうのところ、地球上の生物についていったいどのくらい知っているのだろう?ほんの小さなぼくの生活圏の外で暮らしている生き物に対して、ぼくはどれほどの責任を感じているだろう? この世に生を受けたすべてのものが、神の恵みを受けられるように、ぼくはどんな努力をしたらいいのだろう?

これらの疑問を胸に抱いた人なら誰でも、自分たちのなかからしだいに恐怖が薄れ、生命全体に対する親近感がわいてくるのを感じているはずだ。生命の美と神秘が、とても身近に感じられるようになる。地球をぼくたちみんなの命の庭にしようという希望は、そこから生まれてくる。アザラシの赤ん坊の瞳をのぞきこむと、その瞳はようやくぼくに笑いかけてくれた。「ありがとう」、とその目は語っていた。「あなたはぼくに希望を与えてくれたね」と。
   それだけでいいのだろうか? 希望というのはたしかに耳障りの良い言葉だけれど、何となく頼りない感じがする。今もなお、いくつもの生命がまったく不必要に傷つけられたり、奪われたりしているのだ。氷の上にぽつんと横たわるアザラシの赤ん坊の写真、あるいは戦争で両親を奪われた幼い女の子の写真には、やはり胸を揺さぶるような絶望感がこめられている。地球上の生命を救うのは、信頼だけだとぼくは気づいた。生命そのものを信じ、生命が持つ回復力を信じ、ぼくたちの犯した過ちをくぐり抜ける生命力と、ぼくたちが過ちを正す方法を見い出したときに、ふたたびぼくたちを快く迎えてくれる生命を信じるしかないと気がついた。

そんなことを考えながら、ぼくはまた写真を見た。アザラシの目はさっきよりも大きく見開かれているようで、ぼくは、それまで見落としていたあるものを発見した。それはどんなことにもくじけない、不屈の強さだ。「あなたはぼくを傷つけなかったね」、と、その瞳は語っていた。「ぼくはひとりぽっちじゃないんだ。ぼくは命だ。命は、けっして他人によって奪われることはない。命とは、空っぽの宇宙からぼくを生み出してくれた力だ。命はぼくをいつくしみ、育て、あらゆる危険からぼくを守ってくれた。ぼくは安全さ。だってぼくは力なんだもの。あなただって同じさ。ぼくのそばで、一緒に命の力を感じようよ。この地球に生を受けた同じ生き物として」
   アザラシよ、どうか許しておくれ。これからも何度も何度もぼくたちを見て、ぼくたちのすることを見守っていておくれ。おまえの頭にこん棒を振り上げた人間もまた、父であり兄であり、息子なのだ。彼らだって愛や、他人に対する思いやりをもっているんだ。彼らがその愛をおまえに注ぐ日が、いつかきっとくるだろう。その日が来ることを疑わず、信じていておくれ。